廃村の記録・倉沢集落@東京都奥多摩町
 2013年5月  倉沢のヒノキ入口→

石灰石の町・東京・奥多摩。戦後の復興から高度経済成長を、陰で支えた人々の暮らしが、この地にありました。その集落跡を、動画でレポート!



日原街道から廃村の倉沢集落跡への動画です。



廃村の理由ですが、画像の場所が、掘り尽くされてしまったためと思われます。今でこそ、舗装路があり、私のような部外者でも、簡単にアクセス出来る場所になっていますが、当時は、完全なる秘境でした。とても、マイカー通勤はおろか、バス通勤も不可能な場所だったため、徒歩通勤可能な倉沢集落に、社宅を築いたのでしょう。

しかし、石灰岩が掘り尽くされ、道路も整備されれば、この地に留まる理由はなくなります。地主の方を除き、総て離村となりました。現在の採掘場は、更に山奥になっています。

ヒルズだ!億ションだ!と浮かれている方々、都市の開発には、多くの山が、無くなっていることを理解しましょう。そして、いつかは、その資源も底をつくのです。

この集落に関する情報は、ネット上に多数ありますので、ここでは、詳細に触れません。各自、適当にググって下さい。せんてんすくらぶは、教養サイトではなく、あくまでも、「見るだけで行った気になる」サイトですので…(^o^;)

以前は、朽ちた廃屋が、建ち並んでいて、その下方にある住宅に、地主の方が、住んでいたそうですが、その方が他界された後、2005年11月頃に、廃屋は解体されてしまったそうです。

そして、現存する住宅一棟。これは、廃屋ではありません。後日、地元の方に伺いましたところ、とある画家の方が、別荘としてお使いとのこと。絶対に、荒らさないようにしましょう! 

廃村となってから、間もなく半世紀。植林や自然に生えた木々も、大きく成長していました。あと半世紀が経過すれば、人の手が加えられる前の山肌に、戻ってしまうのでしょう。

最後に、決まり事ですが、行かれる方は、荒らさない・盗まない・ゴミを捨てない等を、お守り下さい。そして、観光地ではなく、私有地ですので、総ては自己責任の上でお願い致します。地権者に訴えられても、責任は負いません。また、途中の山道は、崩落気味です。自信の無い方は、このサイトを見て、満足しましょう!(^o^;)